金色夜叉 尾崎紅葉(PDF)


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 ここは箕輪の庭の奥座敷、十畳と八畳を打ち抜いて三十人余りの若っか男女がカルタ会に夢中になっとった。

そん中に一人、夜会結びに藤紫のリボンを付けて小豆ねずみの縮緬の羽織を着た一人の娘の容色が際だっとった。涼しげな目を見張って、人々が騒ぐ様子ば面白そうに微笑んで見とったが、その水際だった美しさは、勝負も終わらんうちに、宮という名前も覚えられてしまうほどじゃった。

カルタ会が佳境に入ったとき、綱曳き人力車で駆けつけた紳士がある。二十六・七、なかなかの好男子で、高い鼻に金縁のめがねを挟み、座敷に入って鷹揚にあたりを見回した様子は、座中輝くばかりじゃった。

一座の目は一時この紳士に集まった。紳士の左の薬指には、天上の最も明らかな星は我が手にありと言わんばかりに、大きかダイヤモンドを飾った金の指輪がはめられとる。「あれが三百円のダイヤモンド」「素晴らしいわネ」という感嘆の声がおんなどもから起こった。「いやな奴だ」というつぶやきも、それと混じって二・三の学生の間に取り交わされた。

紳士は富山唯継といって、富山銀行の頭取で、且つ市会議員の肩書きを持つ富山重平の跡取りじゃた。

 勝負はまた再開されて、富山は偶然にも宮の組になって、相手方と争うたばって、ダイヤモンドの鼻を砕いてやろうという若者共を相手にまわしたため、散々にやっつけられ、髪の毛はバラバラになり、羽織の紐はちぎれて、ほうほうの態で奥の一間に逃げ込うで、箕輪の主人に勝負の始末を話したが、その話の中で、例の夜会巻きの女の噂が出た。

「父は元、農商務省に勤めておりましたが、只今では地所や家作などで暮らしているようなことです。小金もあるような話で、島沢隆三と申して、ごく手堅く隣町で暮らしております」紳士は「ああ、しれたもんじゃね」と言いながら、例のダイヤモンドを光らせながら顎をなでたが、「それでもよか、ばって嫁に呉るっどか、跡取りじゃなかね」「詳しかことは存じませんばって、一つ、当たってみやっしゅう」ということになった。

 富山がここに来たとは、実はこういう会に出て、嫁を物色しようという下心じゃった。一昨年英国から帰朝したが、降るほどの縁談はあったっちゃ器量好みの彼には、どれも意にかなわんでいたところ、たまたまお宮を見るに至って、彼の心は動いたのである。

 カルタ会は十二時に終わった。例のお宮の送り手は数多かったばって、付き添ったのは唯一人で二十四・五の高等中学の制服をつけた学生である。

 宮は鳩羽ねずみのお高祖頭巾を被って、毛織りのショールをまとい、学生は焦げ茶の外套を着ていたが、人目が無くなると、ぴったりと寄り添って歩き出した。

 「宮さん、あんダイヤモンドの指輪をはめとった奴はどがんね、いやに気取った奴じゃっか」「そうねえ、ばって、みんながあのひとを目の敵にして乱暴するけん気の毒じゃった。隣り合っとったけん私までひどいめにおうたとよ」

 だけど学生は歩きながら、何度となく富山を罵倒した。木枯らしが激しく吹くので「ああ寒か」と男は言う。「あら、いやね、どうしたと」「寒くてたまらんから、その中へ一緒に入れ給え」といいざま、男は宮のショールの片端を奪って自分の肩にかぶせた。

「あら寛一さん、これじゃ切なくて歩けゃしない、向こうから人が来よるよ」と、宮は足が前に出ないほど笑いこけたが、一体この二人は何者だろうか。


    - 中略 -

「ああ、宮さん、こがんして二人が一緒に居っとも、今夜限りばい、俺が、お前にもの言うとも今夜限りばえ、一月十七日、宮さんゆうっと覚えとけぞ、来年の今月今夜は、貫一はどけーでこん月ば見っとじゃろかい。よかや宮さん一月ん十七日ばい。来年の今月今夜になったろば、俺が涙で必ず月ば曇らせて見するけん。月ん…月ん…曇ったろば、宮さん、貫一は何処っかでお前ば恨んで、今夜んごて泣ゃーとっとばいて思うてくれ」