万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた、現存するわが国最古の歌集で、全20巻からなり、約4,500首の歌が収められています。
 万葉集の編纂については、詳細不明ですが、数人の人の手を経て、最終的には大伴家持の手によって20巻にまとめられたのではないかとされています。
古典を紐解き、現代人が失いかけている万葉人の精神文化や、日本の原風景に触れてみたくて、万葉集の原文を天草方言に訳してみました。

 天草方言で詠む「万葉集」  PDF 

http://amakusa-web.jp/Sozai/M万葉集 g/FileAccess.aspx?aplUseNo=1384&angoFolderKey=zoq2a6AqTlkM7AZFp9mKvg%3d%3d&angoFileKey=qR45SO7eAjgHcgfutZGVSA%3d%3d 

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大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ
海原は 鴎(かまめ)立ち立つ  うまし国そ 蜻蛉(あきず)島 大和(やまと)の国は (舒明天皇 巻1・2)
大和にゃ ぎょうさん山のあるばってん とりわけ美しか天の香具山に登って
国を見わたせば 里野には 竈の煙があちこちから立ち上って 
海原にゃ 鴎が飛び交うとる まこてよか国ゾ この大和の国は

  ※「煙(けぶり)」は煙(けむり) 天草方言「けぶり」 ※「かまめ」は、カモメ
 ※「蜻蛉(あきず)島」は、「大和」に掛かる枕詞 蜻蛉(あきず)はトンボの意
  ※ 枕詞とは、主として歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて語調を整えたり、

       情緒を添えることばのことである

 

山越の 風を時じみ 寝(ぬ)る夜落ちず 家なる妹を かけて偲びつ (軍王 巻1・6)
山を超して 風ン時ならず吹いて来るけん ひとり寝る夜毎夜毎 
家に残ぇとる妻のことが 気掛かりで思い慕うとりますと

    ※「ぬる」は、寝る 天草方言「ぬる」  ※「妹」は、「妻・奥様・恋人」

 

君が代も 我が代も知るや 岩代(いはしろ)の 岡の草根を いざ結びてな (中王命 巻1・10)
あなたの命も私の命も ここ磐代の岡の心のまま そこに生えとる草を結ぼうだ
そして命の無事を祈ろうだネ

 

あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る

   (額田王 巻1・20)
紫草の生えた 天皇領地の野原を歩いとるとき あなた様が私に 袖を振ってる
(求愛なさる)ところを  野原の番人に見られとるかも知れんとに…

  ※「あかねさす」は、「紫・日・昼」に掛かる枕詞

  ※「紫野」は、紫草(染料)を栽培した平野
  ※「標野」は、御料地   ※「袖振る」は、意志を伝える(求愛)・人の魂を鎮める


来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを
 (大伴坂上郎女 巻4・527)
あなた様は 「来る来る」ちゅわしたっちゃ 来なさらん時も あるもね
「来ん」 ちゅわしたばって ひょっとすれば「来らすかも」ちゅて
期待して待っとっとは やめときまっしゅ  「来ん」ちゅて言わすと じゃけん


紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに あれ恋ひめやも (大海人皇子 巻1.21)
紫草のごて美しかあなたを 憎っかとなろば 何で 人妻のあなたを 恋するもんかネ
なんさま あなたが可愛ゆうして 好きだもん


よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ (天武天皇 巻1.27)
昔の立派な方が よか所ちゅうて ゆうっと見て 素晴らしかちゅわした
何さまこの吉野をゆう見てみろネ 今の善良なあなたたちも ゆうっと見てみなっせ


春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほすてふ(ほしたる) 天の香具山 (持統天皇 巻1.28)
春が過ぎて もう夏が来たごたる 聖なる香具山辺りにゃ
真っ白か衣を いっぴゃ乾してある

※「白妙の」は、「衣・袖」に掛かる枕詞 (楮の繊維で織った白い布)


楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも (柿本人麻呂 巻1・31)
志賀の大きか入江ン水は 流れんで淀んどるばって
時の流れと共に過ぎ去った昔ン人達にゃ 再び会うことンあっどかい
いんにゃ もう逢えんかもしれん


いづくにか 舟泊てすらむ 安礼の崎 漕ぎたみ行きし 棚なし小舟 (高市黒人 巻1.58) 
今ごろ どこに舟泊まりしとっとじゃろかい 安礼の崎を 漕ぎ巡って行た
あン舟棚も無か 小か舟は
  ※「安礼の崎」(愛知県宝飯郡御津町)


いざ子ども はやく日本へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ (山上憶良 巻1.63)
さあ皆の者ども 早う日本さん帰ろだ 大伴の御津の浜ン松原も 
我々を待ち焦れとるこっじゃろう

 ※山上憶良は、文武天皇の大宝元年(701年)に遣唐大使・粟田真人に随行し、
  3年ほど滞在した


草枕 旅行く君と 知らませば 岸の黄土に にほはさましを (清江娘子 巻1・69)
のお人じゃんなすとを 存じ上げとれば 岸の黄土で あなた様の衣を
染めて差し上げもしたとに まこてマ


飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ (元明天皇 巻1・78)
明日香の古京を 後にして 行たてしもうたら
あなたの辺りは 見えンごてなりゃせんどかネ

※「飛ぶ鳥の」は、「明日香」に掛かる枕詞? (奈良県高市郡明日香村)


熊日まっだし4