不如帰(ほととぎす) 徳富蘆花  (PDF)

https://amakusa-web.jp/Sozai/Mg/FileAccess.aspx?aplUseNo=1384&angoFolderKey=zoq2a6AqTlkM7AZFp9mKvg%3d%3d&angoFileKey=xZK9QtdwcoiUW9VExhhmKutm5YySrJ9r

 ▲ クリックしてください。


   上州伊香保の宿に、新婚旅行に来とったとは、海軍少尉男爵川島武男と浪子じゃった。
浪子は、色白で細面ん痩せ形ですらっとして、しおらしゅうして、ちょうど、夏ん夕闇にほのかに匂う月見草ちゅう感じじゃった。
浪子は片岡陸軍中将の長女じゃらすばって、八歳ん時母ば亡くし、継母が来た。継母は早う英国に留学した。男勝りの上、西洋風の染み込うだ女だけん、何事も先の母ん名残ば打ち消すごたるふうじゃった。
浪子は、こまんか時から至って人懐っこかったばって、継母はそりば避けとるもんだけん取り付く島ものうして寂しか思いばしよった。
そっで、こん度び川島家と縁談が調うたこっで、浪子も父も継母もそれぞれがほっとしたこっじゃった。
武男夫婦は、伊香保の見晴らしのよか場所でわらび狩りばしとった。そこに草ば踏む音んして、ひょくっと現れた人影んあった。
「武男君」「やあ、千々岩ちぢわ君か どうい こけ?」
千々岩安彦は二六・七、陸軍中佐の服を着て色白の好男子、ただ口のあたりに卑しげな所があり、眼光鋭く見つめられる人に不快感を起こさせる。武男の従兄弟に当たり参謀本部勤めの下僚ばって、腕利きの評判じゃった。
「出し抜けにびっくりしたっど。用があって渋川まで来たばって伊香保は一足て聞いてちょこっと遊びぎゃきた。宿で、君たちがワラビ狩りしよるて聞いてやって来たった。なんの明日は戻る。邪魔に来たごたるね。はっはっは」「馬鹿ンごたる」
三人はひとしきりワラビを取り、やがて夕陽を浴びながら帰途についた。武男は突然ステッキを忘れたとに気づき、それを取りに引き返した。
そのあと、浪子は千々石と一間ばかり離れてたたずんどった。
「浪子さん、おめでとう。しかし、おめでたくなか奴もどこかにおっとですばってね」
浪子はうつむいて、パラソルの先でしきりに草の根をほじくった。
「浪子さん、男爵に金、やっぱりよかもんですばい。いや、おめでとう」「何ばおっしゃいますか」「華族で、金があれあば馬鹿でも嫁に行く。金がなけりゃ、どがんしたっちゃ唾もひっかけん。これが今の姫御前ですばい」
「何ばおっしゃっとですか、も一度武男の前でいうてご覧なさい。男らしく父に相談もせんで、無礼千万な艶文を私にやったりして」
千々岩は、武男にも両親にもそのことは秘密にせろ、でなければ後悔すっぞと浪子をおどした。そこへステッキをうちふり、武男が戻ってきた。
この千々岩は孤独で、叔母に当たる川島武男の母に引き取られた。叔父はこれを厄介者と思い、千々岩はわが拳と知恵で世渡りせんばと早よから悟り、武男と叔父を恨んどった。
また、世渡りに裏表があることを見抜き、交わるにも身の頼りになる者を選んだ。早く手づるを求め、参謀本部に勤め、同窓生が練兵、行軍と追われておっとに、本部の階下に煙草どんふかしとる羨ましか地位におった。
この上は結婚である。その眼は隠然たる勢力のある片岡中将に注がれた。つてを求めて近づいた。そして、令嬢の浪子を得たいものと思うとった。
それで、本人さえ攻め落とせばと艶書を出したが、三月ばかり出張して帰ってみると浪子は人もあろうに、自分の従兄弟の武男と、その結婚式も済んどったのだ。
彼はもし、艶書のことが、中将に漏れたら大変と、高崎に用のあったついでに、武男夫婦を訪ねてさぐりを入れたのであった。
武男の母お慶は、今年五三。亡夫は鹿児島藩出身で、小身な士族、しかし、維新に際会
して大久保甲東こうとうに見込まれ、知事までになったが、我が儘、強情が禍わざわいし、甲東没後、志を得ず不平のうちになくなった。その不平が家族にあたり、お慶も辛かとを我慢しとったが、その死後、三〇年の辛抱がさっと押し開いて、一度に切って流れた水門のごて、我が儘で、男爵の生前より奉公人も泣くほどであった。
浪子はこうした姑に仕えんばならんだった。浪子の実家は、軍人づきあいの何事も派手ばって、川島家は昔風、田舎風で、十八の花嫁浪子は、まるっきりちごうた家風だけん、ことあるごとに惑うことも無理はなかった。
しかし、父の訓戒を胸にすべて家風に従おうと決心していた。ところが、伊香保から帰って間もなく、武男は遠洋航路に出ることになった。武男は限りなく愛してくれたとに三月足らずでしばらく別れんばならん。
そん留守中、姑は持病のリュウマチがひどうなり、癇癪はひどく、嫁いびりがはじまった。浪子は部屋の写真に接吻し、頬ずりして「早よ帰って来て」とささやき、我をすてて姑に仕えていた。
シドニー発の武男からの手紙の一節には「ひとり艦橋の上に立つときは何とも言い難い感がおこって、浪さんの姿が眼先にちらちらして(女々しいと笑い給うな)候そうろう。同僚の前では「差もあらばあれ家郷遠征を思う」と吟じて平気にすましておれど、浪さんの写真は始終ある人の内ポケットにひそみおり候。今この手紙を書くときも宅の彼の六畳の部屋の芭蕉の陰の机に頬杖つきてこの手紙を読む人の面影がすぐそこに見え候」などと記してあった。
半年ほどして遠洋航海から帰った武雄は、浪子を伴って浪子の実家を訪れた。その留守に千々岩が来訪したと聞いて眉をひそめた。
千々岩が高利貸しから金を借りたり、参謀本部の機密が折々漏れて投機商人の利を得ていることなど、軍人としてあるまじき相場の市に千々岩の姿を見たことなどで、忌まわしい噂が千々岩にたっていたからである