本邑の民話 (PDF)
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天草方言で読む本邑の民話
行人岳の行者さま(本町 福岡)
たいぎゃにゃ昔の話ばって、どっから来なしたもねェろ行人岳にゃ白か髭バもじゃもじゃ生やした行者どんの棲みちぃとらしたっちゅうタイ。
「わしの この一本歯の下駄は、なかなか履き心地が良ろしい。この下駄を履いとれば、鶴から行人岳の頂上まで、あっと言う間に上り着くことができるわい」ち言いながら行者どんなひょいひょいやって跳び回らっとちゅうモン。
近所ン衆ぃたちも、あんまり調子ンゆう跳び回らすもんじゃっで「こりゃぁ大したもんバイ、天狗どんのごたる。
一本歯ン下駄で跳び回らすトン、よっぽで修業ば積んどらす偉か人じゃろうだな」ちゅて感心したり、そぎゃん評判ば聞きつけて、わざわざ遠ぅか所ら見物人まで来らすごてなったっちゅうたイ。
行者どんなネ、人も住まん山奥で草てろん木の実てろん生物ばぁっかり喰うて七年余りも激しか修業バさしたちゅうけん、とうとう一本歯ン下駄履んで跳び上がったり、空バ飛ぅっさるかすごてならしたっちゅうたイ。
「よぅし、こんどは雲仙岳まで飛んでみせよう」ちゅて行者どんな太か手バえっとばっかり広げて、お堂ンにきン大岩ン上ェ ひょいっち立ち上がって「おいっちにぃノ」ちゅうて膝バ曲げ伸ばして弾みバ付けてゑぇて、一本歯ン下駄で大岩バ蹴りつけらしたとん、ブーンちゅてうなりばあげてアッちゅう間ゃに行者どんナ大空さね舞い上がっとらしたっちゅうワイ。
グワ~ンち、地響ンしたち思うたりゃ、両手両足バ揃えたまま、雲仙岳ば目がけて飛うではってかしたっちゅワイ。
そして雲仙岳に着陸さしたち思うたりゃ、またじき行人岳さにゃ飛び戻って来らすとちゅた。
何様そりゃぁそりゃ血の出くるごたる修業ばさすとちゅうで、あぎゃん術がでくるごてならした訳じゃっかい。
そン内ぃ、行者どんにゃ弟子のちいて、ひんがみゃぁ日弟子たちにも烈しか修業ばさせらすとちゅたい。
ところが、ある日のことじゃっかい、行者どんの留守ばよかことに「俺りも一本歯の下駄ン威力バ試して見ゆう。
雲仙な無理でン、口ノ津ぐりゃアまでなろバ飛びきっど、力はまぁだまだばってん、なぁんのこン一本歯の下駄バ履ンどれば大丈夫じゃろ」ちゅうて、あん大岩ン上に立ってゑぇて「エイッ」ちゅて飛び上がったっちゅたい。
「こりゃあんびゃんゆういったバイ、何の事アなか、風ン流れにゆうっと乗りしゃかすれば口ノ津までだ屁のこっぱじゃもね」 ところがじゃっかい、ちょうど鬼池ン海にさしかかった時、なんさま強か海風ンびゅ~んちゅて吹き付けてきたっちゅうもん、こっじゃどうもこもならでにゃ弟子ヤ調子とりそくのうて、海岸の岩ン上さん「ズテーン」ちゅて墜落してしもたっちゅワイ。
(雲仙が見える海岸の岩の上には、その時の足形が今でもまだ残っとるそうです)
「カーッ、このわしに、ことわりもせェでにゃ、一本歯ン下駄バ履んで飛ぶちゅは何ごつか、けしからん奴じゃ。お前はまぁだまだ、修業が足らん」ちゅうて、行者どんな太か声で目玉ンふっ飛びづるごて、しこたま弟子におごられたっちゅじゃっカイ。
こん行者どんの住んどらす行人岳はにゃぁ、初手ェから島原てろん鬼池てろん漁師どんたちの方角ば見定むる目星にしとらいたっちゅもん。行人岳と高木山があすこじゃけんちゅう目測で漁場てろん舟ン進路バ決めたりしとらいたもんじゃっかい。
ある日ン事、鬼池ン漁師どんが辺りン暗うなるまで、沖で漁バしとらいたちゅモン。そン日は、面白かごて魚ン釣れてねぇ「こがん釣るったア珍しかこっバイ。あと五、六匹釣ったろう戻ろうバイ」ちゅて、ひとりごっどん言うとらいたりゃ、ひょくっと曇ってしもうて海が時化じゃぁてネ、波は高こうなるし大嵐になってしもうたっちゅタイ。こまぁか舟じゃっで、ちょうど木の葉ンごて、揺れじゃあてない。
「こりゃちゃんしもうた、釣りに夢中になっとったりゃ雲行きも見えんごてきゃアひなった。目星ン行人岳もどっちじゃいろ、さっぱり判らん。こぎゃんなったろバ行人様にお願いするより他無かバイ」ちゅて漁師は手バ合わせてから「行人様、どうかお助け下っせ、お礼詣でにゃ新しか一本歯ン下駄ばお供え致しやすけん。どうぞお頼ん申します」ちゅうて、一生懸命拝んもさいたっちゅうワイ。
そりからいぃっときしたりゃ遥か彼方ン山ン方にボ~ッちゅ光りの浮き上ってネ、チカチカ瞬きだしたトン、真っ暗かった海が次第に白みかけたっちゅうワイ。
「あッ、あれは確きゃア行人様ンお灯ばい。有難たや、有難たや、これで助かったア」ちゅうてネ、急に元気付かいた漁師どんな、そンお灯バ頼りに力いっぴゃ漕ぎ出さいた処が、アッちゅう間に鬼池に戻りちいて命びろいさいたっちゅじゃっかい。そぎゃん事ンあってから、
「何ちゅうありがたかこつじゃろうかいまこて、行人岳ンあん不思議なお灯は行人様ンお導きじゃったに違ゃぁなか、じゃろうじゃろう、たしきゃアそぎゃんバイ」ちゅうて、漁師どんたちゃ、どんこん有難がってにゃあ、毎年行人様に、一本歯ン下駄バお供えしてサイ、豊漁と安全祈願のお参りに来らすごてなった、という話じゃっかい。 こっで、しみゃぁ
※今でも旧暦三月の彼岸の入りの頃、行人様のお祭が行なわれ、地元の福岡地区の人たちはもちろん、鬼池宮津の漁師さんたちも行人岳に登り、お参りに訪れています。お堂の裏手には行人様のお位牌が祀られており、その石碑に着いている青々とした苔を、少しずつつ剥いで持ち帰り、御守りにしているそうです。
灰の中のかきもち(本町 福岡
昔ーし、福岡ン聖福庵チュー所ぇ、年寄りの庵主さんと小僧さんが居らした。
庵主さんナ、旨かもんナいっでんわーがばっかっで喰いよらしたっチュウモン
ある日の事ジャッカイ、庵主さんが小僧バ呼んで
「ランプン油ン切れたケン、寺領ン油屋に行たて買ぅて来て呉れぃ」
ちゅて、使いに出さしたっチュウタイ。
小僧が出掛っとバ見届けた庵主さんナ、戸棚ン奥になわしとった欠き餅バこそーっと取り出ゃーて、囲炉裏ン薪の灰の上に並べて、焼き始めらした。
小僧は一升瓶バぶら下げて、どんどん坂道バ駆けおりて、二反首ン橋ンところまで来た時、ひょくっと立ち止って
〈今のうは、庵主さんナわーが一人で、んまか物バ喰いよらすちゃかろうかネ〉
そぎゃん思うたりゃ、小僧は矢も盾もたまらんごてなって、今来た坂道バ一散掛けで引き返した。
庵の中はシーンと静まり返って、物音一つせんバッテ、何じゃい香ばしか匂いのプンプンしてくる。
小僧は、生唾ン出てくっとバぐっとこらえて、障子ン穴から中ン様子バじーっと覗いて見たりゃ、庵主さんナ何じゃいんまかりそうに喰いよらす。
いっとき様子バ見とったバッテ、腹が「クー」チ鳴りだすもんじゃっで、なん様欲ゅーしてたまらんごてキャーひなった。
小僧は、障子バ「ガラー」チュテ開けて、息ァ引切るヽごてして、
「庵主さん、油代バきゃー忘れたケン戻って来たばナ」
チ言うたもんじゃっで、庵主さんナうっ魂がって、焼きよらした欠き餅バ、うろたえて薪の灰ン中きゃー、押し込みよらす。
「くそ慌て者が、引き返して来る奴があるか、銭な明日でん良かったてぇ、まこてーま」
慌てとらすとは、庵主さんの方じゃっかい。
小僧は、囲炉裏の火箸バ取り上げて囲炉裏ン薪の灰ン上ェ道順バ書きながら
「石段バ、トントントンちゅて駆け降りて、こっちさん曲がってから…」
ところが、薪の灰ン中きゃー、んまかりそうに焼けた欠き餅ン二つ三つ出て来たもんじゃっで「うわあぁ、こけにゃかきもちのあっとぞ、こりゃんまかばい」ちゅて小僧は、庵主さまにゃ見せびらきゃーとって、喰い始めた。
「そりから坂道ば走り下って二反首ン橋ン…」
ち言いながら、火箸ば掻き回すたんびに薪の灰ン中から欠き餅の次々出て来る。
小僧は、出てくる片っ端から、いち喰うてしもうたっワイ。
庵主さんな小僧が、んまかりそうに喰うとば
〈いまいましい奴っじゃ〉
ち思いながら、どがんもしよんなかもんじゃっで、じっと見とらすばっかりじゃったちゅたい。
そぎゃんことンあってから、庵主さんなわぁがばっかりで喰わぁでにゃ、小僧にも同じごて
分け与えて喰ぁせらすごてならしたっちゅうたい。 こっでしみゃあ
天人女房(本町 新休)
昔、広瀬川ン上流の新休というところに七尋淵ちゅう川があった。
ある日、みぞぅか天女さんたちが舞い下りて来て水遊びバしよらしたっちゅうもん。
天女たちは、脱いだ羽衣は川ン端ン松の木ン枝にひっ掛けて、泳ぎに夢中になっとらしたっちゅじゃっかい。
丁度そけぇ通り掛かった近くの若者が、初めて見る光景に「こぎゃん奇麗ぇか着物な見た事もなか、どりゃいっちょあたこっして、びっくりさしゅうかい」ち思ぅて一番奇麗ぇかっば草原ゃ隠ぃて、様子ば見とったっちゅた。
いっ時したりゃ、天女たちはそれぞれ羽衣ば着て、天さね舞い上がってしまわしたっちゅた。
ところが、一番別嬪の天女さんな自分の羽衣ン無かもんじゃっで、一人そけぇうっ座って、泣き出さしたっちゅじゃっきゃぁ。
若者な気の毒ぅなって「どぎゃんしなしたかぁ」ちゅて訳ば尋ンねてみたりゃ「私は天から舞い下りた天女です。着物がなければ天に帰る事が出来ないのです」ち言うて、またえっとばっかり太か声じゃぁて泣き出さすもんじゃっで、若者なみぞげしなって〈出してやりもそうかにゃあ〉ち思うたばってんか、あんまり天女さんが別嬪じゃらすもんじゃっで、わざと知らんふぅりして様子ば見とらいたっちゅたい。
天女さんなしよんなかもんじゃっで、泣き泣き若者ンの家さん、ちいて行かしたっちゅたい。
若者ンの家にゃ犬ば一匹飼うとらいたっちゅうとん、そン犬が、寝っ時でん、天女さんの側から離れんごてして、あんまり懐くもんじゃっで、天女さんもひどうみぞがりよらしたっちゅじゃっきゃ。
天女さんな、娑婆にも住み馴れ、二人はとうとう結ばれて毎日幸せに暮らしとらしたっちゅうもん。
そうこうしとる内、三年経ったけん、もう着物ば出してやったっちゃァ天さね戻ったりゃさすみゃぁチ思うて出してやらいたっちゅうたい。
ところが、天女さんな、嬉っしゃ、着物ば着てみよらしたっちゅうとん、
そんまゝ天さね、昇ってはってかしたっちゅもん。
若者な女房が恋しくて、恋しくて〈どがんなっとして天さね行たて、女房に会いたい〉ち思うて、夜も眠らんごて案じてばっかりおらいたもんじゃっで、つらも青垂れて半病人のごてなっとらいたっちゅうもん。
ある日、あんまり若者がしょげこくっとるもんじゃっでみぞげに思うた東向寺んご前様が「今日ん内ぃ、庭の真ん中に糸瓜の種バ蒔いて、回りに百足の草履バ埋めておくがよか。そうすればあんたの望みが叶えられるじゃろう」ち言わすとちゅうもん。
そりば聞いた若者なそりからじき草履ば作り始めたばってん、九十九足しきゃ作らん内ィ、日の暮れてしもうたっちゅうたァ。
「どい、出来たしこた。しよんなかもね」ちゅて、糸瓜の回りに埋めらいたっちゅもん。
あくる朝、目ン覚めてみてうっ魂消ぇたのなんの、まこて糸瓜ゃ一晩の内ぃ伸びれば伸びるもん、天まで届いとったっちゅうわい。
若者な喜こぅで、じきぃ登り出さいたりゃ犬も後からちいて来っとちゅうもん、ところが天まであと一歩ちゅうところで糸瓜ンつるが届かでにゃおっとちゅうたい。
〈こりゃ困ったね、どぎゃんしたもねろ〉思案しとらいたりゃ、犬が若者の肩から天まで跳上がって尻尾ばすうっちゅて差し出したもんじゃっで、それぇ掴まって天さね上らしたちゅうた。
再会できて二人は嬉っしゃいつまっでん抱き合うとらしたっちゅうわい。
そん天女さんが実は七夕さまで、若者が犬飼さんにならしたちゅうお話じゃっかい。 こっでしみゃ